2011年02月20日

新春たちかわ寄席 立川談志一門会(2011年2月20日)

「アミューたちかわ」で行われた、「新春たちかわ寄席・立川談志一門会」を見に行ってまいりました。

danshi itimonkai.jpg

この日の演目
立川談修 身なげや
立川談笑 粗忽の釘 
立川志らく 看板のピン
<中入り>
立川談志 明烏


談志師匠の高座を見るのは10年ぶりぐらい。17〜18年前におっかけをやっていた。なので談志師への思い入れは強い。

流石に衰えていた。足取りがまるでおじいちゃん。声が出ない。まったく出ない。

老いと病気。こればかりは、談志師をもってしても、どうにもならない。しかし、抗う。あくまでも、「談志の高座」を演る。

もはや、観客は信者同然。(談笑師は「皆さんは在家信者、私どもは出家信者」とギャグにしていた)なので「談志、動く」「談志、しゃべる」「談志、お茶を飲む」の来週のサザエさんの予告のような高座でも観客は満足して帰る。

しかし、談志師はそれを良しとしない。「枯れる」なんざぁ糞喰らえ。高座で七転八倒し、「新しい『談志の落語』が完成するまでの、ドキュメンタリーだと思え」と言い放ったあの頃と気概は同じなのだろう。

そうは言っても、師の理想と現実には隔たりがある。声が出ない、出ないなら出ないなりの落語を演る。

それが【桂文楽インスパイヤ】

文楽師の高座を、そっくりに演る。オマージュといってもよい。確かに晩年の文楽師の声と現状の談志師の声は近いものがある。演者としての引き出しが豊富だからこそ、自分の技量は名人・文楽にヒケは取らないという自信があるからこその、インスパイヤでありオマージュ。

途中、セキで高座が中断することがあり、正直セリフが聞き取りづらい場面があったが、最後のサゲまできっちり演じ、無事に幕が降りた。

「麒麟も老いては駑馬に劣る」ということわざがあるが、立川談志にはあてはまらない。談志は死ぬまで談志だ。

あくまでも芸で客と対峙する。痺れた、打ちのめされた。参りました。そんな立川の夜でした。
posted by 雷庵博人 at 22:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 落語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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